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IIJ.news Vol.189 August 2025
IIJ 広報部 技術統括部長
堂前 清隆
IIJの技術広報担当として、技術Blogの執筆・YouTube動画の作成・講演活動などを行っています。これまでWebサイト・ケータイサイトの開発、コンテナ型データセンターの研究、スマホ・モバイル技術の調査などをやってきました。ネットワークやセキュリティを含め、インターネット全般の話題を取り扱っています。
今から55年前の1970年、大阪で開催された「日本万国博覧会」(大阪万博)では、さまざまな「未来」を感じさせる展示があったそうです。なかでも通信業界として見逃せないのが、日本電信電話公社(現NTT)が展示した「ワイヤレステレホン」でした。これは万博の展示用に開発された、世界初の「コードのない電話機」です。電気通信館というパビリオンで、実際に来場者が体験でき、日本国内の一般の電話機に通話できたと聞いています。
当時はまだ黒電話に代表される「コードが付いた電話機」が当たり前の時代。コードに邪魔されることなく持ち運べる電話機は革新的でした。実際、多数の来場者がワイヤレステレホンを体験するために電気通信館を訪れたそうです。ちなみに、この時のワイヤレステレホンは、なんとか片手で持てるサイズと重量で、当時の電話の受話器を少し大ぶりにして、アンテナを生やしたような形状だったそうです。
通信の歴史では、このワイヤレステレホンが「世界初の携帯電話」であると紹介されることがよくありますが、万博のパビリオンのなかだけでしか利用できないもので、仕組みとしてはのちに実用化された「コードレスホン」に近かったようです。とはいえ、1970年の時点で「持ち運べる電話機」というコンセプトを形にしたことは大変な成果であり、その先進性は疑うべくもありません。
ところで、大阪万博のワイヤレステレホンと、その後の携帯電話は、どこが違うのでしょうか? 本稿では「周波数と基地局の共用」、「複数の基地局によるエリアの構成」に着目したいと思います。
ワイヤレステレホンは万博会場内に100台ほど用意されたそうですが、電話機それぞれに固有の周波数の電波が割り当てられ、各電話機に対応した専用の基地局が(電話機と同じ台数)用意されました。この方式は非常にシンプルですが、電話機を使っていない時も周波数を占有するため、電波の利用効率がよくなく、契約者が増えると電波が足りなくなることは明白です。
一方、のちの携帯電話では、通話用の周波数をいくつか確保しておき、通話を行なう電話機がその都度あいている周波数を使うようにして、電波の効率的な利用が図られています。電話機との通話を中継する基地局も各電話機専用に設置するのではなく、1つの基地局が複数の電話機を中継するようになりました。
さらに、ワイヤレステレホンでは電話機が利用できる基地局は1つだけで、その基地局の電波が届かない場所では電話が使えませんが、のちの携帯電話では、異なる場所に設置された複数の基地局を切り替えることで、より広い範囲で使えるようになったのです。
こうした携帯電話特有の仕組みを実現するために、電話機1台1台を管理・制御する仕組みが取り入れられています。例えば、電話機が通話時にどの電波を使うかは、携帯電話網の基地局からの指示にもとづいて決められます。また、電話機がどの基地局を利用しているのかは、携帯電話網の中心にある機器によって管理され、電話がかかってきた際にどの基地局から電話機を呼び出すのかといった制御に使われます。
現在の携帯電話につながるこのような技術が一般に利用されるようになったのは、大阪万博から9年後の1979年、日本電信電話公社が開始した「自動車電話」が世界初でした。以来、さまざまな改良が加えられながら、現在の携帯電話システムでも同じ仕組みが用いられています。
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